100人に1人の私

  2019.1.27(日)


  2週間ぐらい体調がすぐれない期間があった。
 いつもそうなのだが、家人にはごろごろしていると鬱陶しがられ、通院先の看護師さんには状態を巧く伝えられないままとなってしまっていた。


 それが先週は特に状態が悪くなって、23日(水)を頂点に、「もうダメ、我慢もできません」という状態にまでなってしまった。その日の朝、迎えの介護タクシー内で 、ずっと体調が悪くて……という話をすると、どういった症状なのかと訊ねられたので、正直に話すと、「それは心療内科に行ったほうがよいのではないか」と言われた。私を神経質人間と決め、精神病扱いしていることに、不快感を覚えた。


 病院に到着し、このところ長くなっている待ち時間を、独りで待合室で過ごさねばならないことに不安を覚えた。それは2年前、呼吸困難になっているのにまともに処置をしてもらえず、結局、夜中に呼吸不全を起こして救急病院へ搬送された経験が脳内にインプットされているからだった。それで、待合室から少しでも人気のある治療室の外廊下へと移動して待つことにした。やっと、治療室へ入る順番が来て、中に入ったはいいものの、自分のベッドのところにはなかなか誰にも来てもらえない。担当看護師は私の両隣の男性患者のところを行き来し、ベチャベチャとお喋りをしている。心の中で私は(いい加減にしろ、これだけ苦しい思いをしているのに、早くしてよ!)  と叫び続けていた。


 そしてやっと来てくれたと思うと、ごく簡単な問診を行い、体調の悪いことをまるで伝えられないまま終わってしまった。しかし私を待たせたことをやはり患者が増えたから手が回らない、と患者のせいにして。更に関係のない説教話(文句があれば他の病院へ移ってもよい、など。完全に向こうの勝手な解釈!)までして、その日はそのままほかの看護師に私の世話をさせていた。様々な痛みで表情が悪かった私に、よほど腹が立ったのだろうが、私には何に腹を立てられているのか、まるで理解ができなかった。それよりも、このところの体調の悪さの原因のほうが気になって、看護師さんのご機嫌取りどころではない状況だったのだ。


 結局その日は体も心も不快なままで帰宅し、自宅では更に体調を崩して、救急車を呼ぼうかどうしようか、と迷いに迷ったまま過ごすことになった。(最終的に私を診てくれる病院からは、具合が悪くなったら外来でなく、必ず救急で運んできてもらうように、そうでないと受け付けられなくなるから、と言われている)。翌日は更に体調を崩し、食べ物もまともに食べられない。しかし、喉を通りそうなものをむりやり食べることにした。日頃は制限されているようなものばかりを体が欲するのも不思議なことだった。


 ここまでの私の状態は次のようなものだった。

◆症状  悪心、嘔気、胸部不快感、食欲減退、腹部不快感、腹痛、胃腸痛、下痢、便秘、眩暈、頭部不快、 筋肉と骨の痛み、視力障害、眼痛

◆血液  リン…基準値を下回る  血糖値…上昇(食事内容に変化はない)


 状態の悪いまま25日(金)、通院治療に出かけると、この日の担当看護師は話を聞いてもらえそうな雰囲気があったので、これまでの状況を伝え、現在の身体状況を書いたメモを渡した。メモにしたのは、口頭で説明すると時間がかかるし十分に伝わらないかもしれない、忙しくてもちょっとの合間に見てもらえるかもしれない、と思ったからだ。すると、慌てるように、9日から服用を始めた薬剤について調べはじめた。次に、他の看護師と相談をし、医師に伝えてくれた。それで、その日は医師も外来で忙しくて治療患者の回診は略すところであったのを、私のところへは来てもらうことができた。


 結果としては、薬剤による副作用だった。新薬だと言われるその薬の全国からの報告例に、私の症状とまったく同じものがあったらしく、その確率は?パーセント、100人に1人、ということだった。薬は即中止! とはなったが、ここに至るまでの不快な思いは誰がどう癒やしてくれるというのだろう。


 私がこのような体質に生まれたのは、私のせいではない。治療を受ける気はまるでなかったのに、恫喝と強要で受けざるを得なくさせられ、一度受け始めると二度と止めることはできなくなる治療。そんな中で、看護師に鬱陶しがられ、どうやら陰口までたたかれ(何をどんなふうに言ったのかまでは聞いていないが、23日の看護師が裏で私の悪口を言ったことは聞いた)、ひとつとして合う話ではない。


 このたびの場合は100人に1人の薬剤過敏症ということだが、私の場合、これを繰り返している。


・インシュリン全般(アピドラなど)→目が見えなくなる。
 
・胃腸検査の前に飲む薬→目が見えなくなる。7時間程度で回復か?
      
・散瞳薬→長時間目が見えにくいまま元に戻らない。24時間程度で回復か?

・   ?   (白濁目薬)→目が痛くなる。
               
・ フォサマック錠(骨の薬)→目が見えなくなる。
               
・ オルケディア(ホルモン抑制の薬) → 悪心、嘔気、胸部不快感、食欲減退、腹部不快感、腹痛、胃腸痛、下痢、便秘、眩暈、頭部不快感、筋肉と骨の痛み、視力障害、眼痛


 これを見るにつけ、私の目が今もなお不自由なのは、当時の医師が何度訴えても真剣真摯に対応してくれなかった、眼球に影響を与えているはずの薬を止めてくれなかったせいだと悔やまれてならない。ちなみに、その医師にかかっていたときに強烈に高かった血糖値は、仕事を辞めた途端に、すうっと嘘のように下がり、それから現在まで基準値内で落ち着いている。

   

ここからは蛇足……かつて長年お世話になっていた内科医師が私の血液検査の結果を見たとき、「うーん、これは訳のわからない結果だ。……特異体質かもしれませんね」と唸ったことがあった。それを他病院の医師に話したら「医者はわからないときには、特異体質と言ってごまかすんですよ」と笑われたが、案外、真実をついていた言葉だったのかもしれない。その先生、火星人のような風貌で、汚い病院の中にボーと佇んでいるイメージがあるが、周囲からは「まちの赤ヒゲ先生」と呼ばれ、 土足上等のヤクザのようなおっさんから、アクセじゃらじゃらの酒好きのお姉さんまで、いろいろな人類に好かれている不思議な方である。非常に研究熱心で、 深夜に電話をしても必ず起きていて「すぐ来なさい!」 と言ってくださる。今の病気で転院するときは、「あなたの安心できる病院を私も探します」と言って、一緒に東から西まで調べてくださった。こんなお医者様、ほかでは見たことがない。

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リーダブル 小説が変わる瞬間

2019.1.19(土)  


 第160回芥川賞・直木賞受賞記者会見(朝日新聞社)を見ていて「あっ」と思うことがあった。上田岳弘氏(芥川賞)への質問の中に「リーダブル」という言葉が使われていたのだ。


 英和辞典/和英辞典によれば、 readable とは read(読む)とable(できる)から構成された語で、「読みやすい、わかりやすく読める、面白く読める」という意味らしい。


 記者は質問の中で、今回の上田氏の小説が今までの作品に比べると非常にリーダブルになっている、そこは意識したのかどうかと訊ねていた。それに対して上田氏は、もっと広く読んでもらいたい、だからといって芸術性で浅くなるのは違う、 試行錯誤の結果、極力読みやすくかつ作品の重要性は失わず……と答えていた。


 この作家としての考え方と構えは、非常に貴重なものだと私は思う。このブログで、これまで何度も繰り返して、

「最近の小説家の言葉はわかりにくい」

「読書離れが進んでいる時代にわかりにくい言葉を並べても伝わらないだけでなく人は離れていくだけだ」

「さらに、新人賞の選考評など短文においても、今の作家の文章は言いたいことが伝わらない」

「読み手に伝えようという相手意識が希薄だ。双方向の対話意識がないからだ」

 などと偉そうに生意気なことを書き並べてきた。それだけに上田氏の言葉は、その私の思いにストレートに答えてくれるものとなって、初めてスッキリとした気分になれた。


 今日の夕方、スーパーJチャンネルで若者の読書離れのことに触れていたが、今に始まったことではない。私の記憶と記録では、ハリーポッター本が出始めた頃から急速に若者の読書傾向が変わり、さらにジブリ映画が頻繁に発表されるようになる頃には、読むより視る(観る)ほうが主流になってしまったイメージがある。極端なことを言えば、文字で文学に触れると言えば、中高の国語の授業ぐらいという若者が大半を占めるのではないかということだ。そんな若者たちが、作家が自己陶酔して書いた理解不能の言葉が羅列された小説など、読むわけがない。しかも、辞書で調べる気も起こらないのにやたらと辞書を必要とさせるような語句や難漢字を並べ立てる、そんな小説など読む気も起こらない。読み手に対して作家は傲慢すぎるのだ。


 ではどうすればよいのか。短絡的ではあるが、高校国語教科書の小説の延長線上にある小説を書けばよい、答えはそれだと思ってきた。若者だけではない。読書好きシニアが口にするのは、今の人が書く小説は書いている内容がわからない、言葉が伝わってこない、ということである。これを考えてみても、質は落とさず技術を変える、という思い切った切り替えが必要になっている。読書再生への近道はその辺にあるのではないだろうか。

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遠ざかる月 第160回芥川賞

2019.1.19(土)


 2019年1月16日に第160回芥川賞の発表があり、平成最後となる芥川賞は次の2作のダブル受賞と決定した。

町屋良平『1R(ラウンド)1分34秒』
上田岳弘『ニムロッド』


  また、2作以外の候補作は次の4作品だった。

砂川文次『戦場のレビヤタン』
鴻池留衣『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』
高山羽根子『居た場所』
古市憲寿『平成くん、さようなら』


 受賞者のお二人には心の底からお祝い申し上げたい。また惜しくも受賞を逃された方々にもここまで来られたことに敬意を表したい。無から創作するということは並大抵でないご尽力とご苦労があったと思う。それを乗り越えて言語による新たな世界を創り上げられたのだから創世(世界と人類の創造!)ぐらいのエネルギーは必要だったと思う。それができる方がある、ということにまずは強大な驚きをもち、次に皆さんお若い、ということに畏れを知った。


 ところで「受賞作品を予想する恒例企画『勝手に座談会』」(P+D MAGAZINE編集部)で、次のような記述を目にした。


田中:今回の候補作は、SF的な趣向が凝らされたものが多かったですね。いつもの候補作とはちょっと毛色が違うものが揃った印象があって、どの作品も非常に面白く読めました。受賞作予想としては、皆さんはどれを推しますか?

トヨキ:私は個人的にとても『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』が好きなのですが、やはり『1R1分34秒』は群を抜いて傑作だと思います。

五百蔵:僕も、『1R1分34秒』が有力だと思いますね。文学的な評価軸だけならダントツかなと。ただ、平成を締めくくる芥川賞ということもありますし、注目度が一番高いのは『平成くん、さようなら』でしょうね。評価が分かれるとは思いますが完成度も高い作品ですし、ダブル受賞の可能性もあるのでは……と思っています。

トヨキ:たしかにダブル受賞、ありそうですね!

田中:それでは、今回編集部は『1R1分34秒』と『平成くん、さようなら』のダブル受賞、という予想で行きましょうか。1月16日の発表が楽しみですね!


 これを引用させてもらったのは、私個人のみの感想では説得力がないと思ったからである。それは初めの田中さんの発言中にあるように、私も「今回の候補作は、SF的な趣向が凝らされたものが多かった……。いつもの候補作とはちょっと毛色が違うものが揃った印象があ」る、と違和感のような、新しい物をぶつけられた妙な衝撃のような、「なんとも表現しきれない感」を覚えたのである。いや、これを悪いといっているのではない。新しい方向へ道が開けるのはよいことだ。可能性も倍加する。だが、この瞬間、自分が長い間抱いてきた芥川賞に対する固定観念めいたものが、いともたやすく破られ、踏みつけられ、破壊されてしまったなあ、という痛みは伴わない喪失感のようなものを味わったのである。芥川賞が変わった。それだけである。


  芥川賞は振り返ればいつも静かに座ってくれている、重みと頼りがいのある、例えれば月のような存在であると思っていた。だがその月も、次第に頭上から遠ざかっていくように思えてきた。月が沈めば、次は陽が昇る。その陽は新生した月なのかも知れないし、全く新しい太陽なのかも知れない。それを見極めるのは第161回、162回芥川賞にかかっていくのだろう。


 さあ、選考委員の先生方は、この変転をどう念頭に置いて選考評を書かれるのか、私にはそれが最も興味引かれるところである。

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やぎさんゆうびん

2019.1.10(木)


    
1 白やぎさんからお手紙着いたcapricornus
  黒やぎさんたら読まずに食べた          
  仕方がないのでお手紙書いた          
  さっきの手紙のご用事なあに

          
2 黒やぎさんからお手紙着いた mail         
  白やぎさんたら読まずに食べた          
  仕方がないのでお手紙書いた          
  さっきの手紙のご用事なあに

            
 最近ではあまり耳にしなくなったが、かつてはよく聞いたし、よく歌った。
 「やぎさんゆうびん」は「ぞうさん」の詩を書いたまどみちおさんの作品である。かつて、これらの詩について児童文学作家矢崎節夫氏の話を聞いたり、阪田寛夫氏の著書を読んだりして、詩の奥深くにあるまどさんの思いを知ることがあった。


 「やぎさんゆうびん」は端的に言えば、どんなに大事な手紙でも、お腹が空いていてそれが食べられるものであれば、食べてしまう。そのことは肌の色が違っても、富める者も貧しい者も皆同じ……ということらしい。


 どのようなことが記されている手紙なのかは、知りようもない。だが、確かに、今の自分にとって必要なことが腹を満たすことであれば、実用的に処理する手段のほうを取るだろう。昨日のニュースで隠岐の島(島根県)に北朝鮮の船が漂着し、4人の乗組員が島の人に食べ物を無心したと言っていた。1ヶ月の漂流というから、多少の食べ物はあったにしてもさぞかし空腹に苛まれていたことであろう。4人は高齢女性から提供された「むすび」を懸命に食していたという。違法操業云々以前の生命に関わる現実を見た思いがする事件だった。腹が減っていれば、誰だって食べられそうなものは食べるsign03


 さて「ゆうびん」の件、私のもとへ面識のない相手からの商品案内やカタログがしょっちゅう送付されてくる。いったいどこから個人情報が漏れているのかと思うぐらい、よく届く。おまけに頼んでもいない地域情報新聞も続々と郵便受けに入る。以前はゴミ袋に直行であった。だが、ある閃きflair があってから、現在はそれらを有効に活用させてもらっている。


 矯正不能の目になってから、私は新聞を取るのを止めている。これを止めて困ったことがひとつあった。それは生ゴミを包むものがなくなったということだ。ところが、日々増えていく商品案内やカタログ、情報新聞は、見方を変えればけっこう上質の生ゴミ包みになる。適度な薄さの綴じ物はホッチキスを外せばちょうど良い大きさの1枚物の紙の束になってくれるし、情報新聞は真ん中で切り離せばこれもちょうどよい大きさの複数の紙片になってくれる。


 例えば昨日届いた商品案内の中身はゴミ包み用の紙が2枚、裏白のメモ用紙行き1枚、何かの際に使えるA4封筒1枚、そもそもの外封筒は身辺のこまごました燃えるゴミをまとめておくゴミ袋に。残ったのは使い道の見つからない用紙1枚のみで、それは資源ゴミの袋へ。とまあ、巧く処理できた。ところで、どんな内容の郵便物だったか、なんてことはまったくわからない。中身の文字など1字も読んでいなかったからだ。白やぎさん、黒やぎさんの行動にとても共感します。


 新聞だけがゴミ包みの材料と思っていた私の既成観念は、見事に破れてくれた。おかげでものの見方、考え方というものが刷新されて、無駄遣いも減ったような気がしている。(送付してくれた人々にはちょっと申し訳ないとは思うけれど)。


、自分一人が密かに思っている、単なる自己満足に過ぎないことですけどね。 happy01scissors

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蓬莱さんの天気予報

2018.12.22(土)

  「土日月と3連休の方もいらっしゃいますね」。蓬莱さんの天気予報、土曜朝の「ウェークアッププラス」後半でのこと。以前から、国民に対してこれぐらいの配慮がほしいと思っていたら、この番組ではそれができていました。あるいは気象予報士個人の考えかもしれませんが、ご立派。

 少し前にも書いたけど、3連休が取れる人たちって、日本にどのくらいいるのでしょうか? いかにもみんんなが公平に休める感覚で、平気で喋るTVのアナウンサー(それも女性が多い)にはムカッときます。本当にお気楽で安易な仕事だなあと情けなくもなります。もう少し自分の発する「言葉の中身」というものを見直し、どう伝えることがより良いのか、考えてほしいものです。たとえ、原稿を書くのは専門の人がいるにしても、貴重な意見としてその人に伝えることはできるはず。マスコミは思慮が足りない、と言われるのが当然ですから、と開き直らないようにしていただきたいと思います。

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ぱっと見

2018.12.13(木)


 ぱっと見、似ているお馬が何頭かいる。


 特徴は、芦毛・目出し帽のような黒いメンコ・「かいけつゾロリ」みたいな風貌。 eye ということで、漫画とかイラストとかにしやすいルックス。


 お馬の名前を挙げるなら、アップトゥデイト、オウケンビリーヴ、このふたりはクロフネさんのご子息。あと、スマートレイアー姐さん、引退したゴールドシップ、マキシマムドパリ。レッドファルクス君もこの仲間だけど、彼は青いシャドーロールを着けているから見分けはつく。


 本当によく似ている。そのことに、いつも感心している。

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今年の漢字

2018.12.12(水)

 今年もこの日がやってきた。「今年の漢字」が発表される日だ。
 この日を迎えると私を思い出してくれる若者がいることを、何年か前に聞いてニヤリとしたことがあった。

 現役の頃、この時期の定期テストには年中行事のように必ず同じ問題を出していた。

「今年の漢字を予想して書きなさい。また、その漢字を選んだ理由を150字程度で説明しなさい」。

 この問題については事前に「今年の漢字」という行事の説明とともにどのようなことを答えてもらうのか、生徒に伝えておいた。世相を元に考えるのだから準備を要する、だから当然のことだ。もちろん、テストには再度「今年の漢字」についてごく簡単な説明を入れておく。この問題では、言語に対する関心や言語表現力の点から評価をした。これを在学中2回繰り返せば、3回目を迎える生徒はさすがに(またあの時期だな)という読みができるようになる。だから先回りしてこの時期になると友達同士で日常の話題に取り上げている者があっても不思議ではない。むしろ嬉しいことである。狙いはそこにもあった。漢字と仲良くなってもらいたいと思っていたのである。

 年によっては、「今年の漢字」が発表されるその日にテスト、ということがあって慌てたこともあるが、たいていの場合、テスト返却のその直前にTVまたはネットで発表ということが多かった。だからテスト返却後の解説の場で「やったー、当たったー」と大きな歓声を聞くことができた。当たり外れは点数に反映されないので、その辺は気楽である。この時期、社会科の教師が「何かあったんですか? やけに生徒が今世の中で問題になっていることとか、今年話題になったこととか訊きに来るもんで、おかしいなと思って訊くと国語でテストに出る、と言うんですが……」などと訴えにくるので、申し訳ないなと思うことがあった。

 ま、私の場合、そこで終わりではなかった。テスト返却、解説等のあと15分程度時間が残る。そこを利用して、B5判用紙1枚にさらに漢字と戯れる場面を用意した。3つの質問で構成されていて、1問目が今年の自分を表す漢字1字とその理由、を答えさせるもの、2問目が来年の自分が目指す姿を表す漢字1字とその理由、3問目は「今年の国語科授業で心に残った漢字とその理由を書きなさい」だったかな? 細かい表現までは覚えていないが、そういったの。で、回答(この場合は解答ではないようだ)欄には5字まで答えられるようにしていた、かな。高校2年生のクラスでは「虎」「鬱」が群を抜いて多かったのを覚えている。虎は「山月記」を読んだ関係、「鬱」は常用漢字になったのだからといって筆順を教えながら何度も書かせたからだろう。批判もあろうが、それなりに漢字と戯れさせていた。それももう過去のこと。

 今年の漢字は「災」だった。TVのワイドショーでは大人たちがあれこれ予想して、私の予想と同じ「貴」「平」もあり、似たこと考えてるなあと驚いたりもした。でも、過去の情報と変わっていないなら、大人の発想はちょっと無理かな、とも思った。あれは全国からの投票(って言うんだったっけ?)でやっていて、投票するのは小中高生が多いというのだから、ワイドショーなんて見ていない者の発想まで想像を広げなくては、つまり裏読みをしなくては予想なんて成り立たないということ。そういえば、私の通ったクラスでも漢検協会へどっさりと今年の漢字候補を送ったことがあったなあ。――どれもこれも、今となっては懐かしい話。

 

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入場行進

2018.12.11(火)


 阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を,おとといTVで観戦した。
 馬好きの私はレースを観るのも好きだが、それよりも馬たちの本馬場入場の姿を見るのが好きなのである。なぜって、もう、可愛いからの一言に尽きる。


 入場のどこが可愛いのって、あの入場する姿そのものが可愛いのだ。誘導馬、1番枠の馬、2番枠の馬、3番枠の馬、TVではこの辺りまでしか写さないが、みな、上手に行進している。動きは1頭ごとに違うが、懸命に行進している。阪神ジュベナイルFでも、2歳乙女たちが可愛らしい動きを披露してくれた。特に2番の馬ジョディー はなんとも上手に行進していて思わず微笑んでしまった。


 過去の本馬場入場でも、誘導馬たちが2頭でノリノリの行進をしていて可愛いというか、面白いというか、上手に歩くものだなあと感心させられたことが何度もあった。行進曲は「ザ・チャンピオン」が乗りやすいように見えたが。このあとすぐにレースを行う競走馬も、誘導馬の直後を歩く場合、なぜか上手に行進することが多い。他馬はもう返し馬を行っているのに、1頭だけ、いつまでも誘導馬の後を追って歩いているのがいたり、誘導馬に「オラ、遅いぜ!」と言って後方からつついてみたり、自分もすっかり誘導馬になりきってすまして歩いているのがいたりで、とても微笑ましい。でも、そんなことをやっている場合ではない場面なのにね。


 馬でも乗りやすい曲とそうでない曲とがあるのだろうか。また、誘導馬はさすがに練習しているかもしれないが、競走馬は日々練習させているとも思えない。そこのところ、どうなのだろう。馬勘で音楽に乗って歩いているのだとすれば、これまた素晴らしいことだと思う。


  阪神ジュベナイルF、もちろんしっかり応援させてもらった。ダノンファンタジーさん、おめでとう。ディープインパクトのお嬢さんだったんだね。


 horse horse horse horse horse horse horse horse horse horse dash dash dash

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覚えられない

2018.12.8(土)


 人間の名前が覚えられません。なぜ? と訊かれても、わかりません。


 なのに、馬の名前ならすぐに覚えられます。どうして? と訊かれたら、可愛いし、純粋だし、カッコいいから、と答えられます。


 つまり、人間には可愛さとか純粋さとかカッコよさを感じないから。もうちょっと言えば、人間には興味がないから、ということになるのでしょうか。まあ、当たっていると言えば当たっている。そこら辺の心理状態というのがよくわかりません。


 昨日の治療中にふと思いました。もう2年もの間、私の世話をしてくれているここの看護師さんたち、いったいなんていう名前の人だったっけ? そういえば技師さんの名前も聞いた気はするけど覚えていないし、いつも一緒の患者さんたちの名前も覚えていないままだし、わかるのはお医者さまの名前だけ。それは病院の玄関に「●●●●クリニック」とあるから、普通にわかる。でもあとの人たちは……、うーん、どうしたこったい。


 今さら、と思うような事実に遭遇し(ちょっとオーバー happy01 )、なんだか宇宙のど真ん中に放り出されたような気分に纏わりつかれ、わっ、もしかして、自分はこの世界にひとりぼっちで佇んでいたのかなあ、とそんな気分に陥ってしまいました。


 私たちアンドロイドの患者仲間は、その宇宙空間でたまたま遭遇した「時の旅人」なんだなあと思います。だから、すれ違うと永久に遠ざかり、二度と遭うことはありません。そんなアンドロイドたちとたくさんすれ違ってきたように思います。懐かしく思い出す、なんてこともありませんし、敢えてしようともしません。どこかの空間で生きているのかどうかもわかりません。知りようもないし、突き止めようともしません。名前なんてお互い知らないままのほうがよいのかもしれません。


 昨日は血圧の低い日が続きすぎ、ということで体重を増やされてしまいました。医師の診断により、体重の変更や薬物を使った体調の調整が施されます。この治療を中断すれば、即刻、宇宙の果て行きです。本来の終焉の時を2年も延長させてしまいました。あとどれくらい延長できるものか、医師の腕にすべてがかかっています。その私をお世話してくださっている方々の名前が、未だにわからない状態だというのも、ちょっと、おバカ・・・ですね。は・は・は。
scissors

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もしも小説新人賞に応募するとしたら

2018.12.6(木)


 もしも小説新人賞(純文学系)に応募するとしたら、どの賞がいいだろうか。


 以前、知人にそう問われたとき、年齢の高い人間でも受け入れてくれるところがいいよ、と実にいい加減な答え方をした。だが、文學界・新潮・群像・すばる・文藝、5文芸誌の新人賞受賞作品と選評を1年間で斜め読みした今の私は、あのときとは答えがちょっと変わってしまった。


 どんな作品なら受賞できるかに関しては、下読みさんの好き嫌いや体調というものもあるだろうからなんとも言えない。やたらカタカナ語を使った作品ややたら難読難解漢語を並べた作品を選ぶような新人賞にはいい感じがしないのは確かだが。それよりも、私が最も問題にしたいのは、選考委員つまり選評を公の文芸誌上に載っける方々である。


 「この人だけには言ってほしくない」と思える選考委員がいる賞には応募しないことだ、もしも私が応募するのならそう思うだろうなあ、という賞が見つかったのは確かだ。私ならそういう賞は極力避ける。文學界・新潮・群像・すばる・文藝の5つの中に、そういう選考委員が2人いる。(そのほかにもいるにはいるがこの2人の比ではない。まだ多少は我慢できる)。そのうちの1人が選考委員を務める賞は、皮肉なことに知人には最も推奨したい、高齢新人でも受け入れてくれそうな賞なのであるから、あーあdash  である。


 その選考委員の「なにが、どう、よくないのか」と知人は訊くだろうなあ、と思ったので、答えやすいように先にまとめておくことにした。


その選考委員(以下A)は純粋な小説家でもないのに、人の書いた小説を貶すことを前提にものを言うのを得意としている(ように思える)。父親や妹がちょっと名のある人だから自分も世の中に広く認められている、と勘違いしていそうな人(のように思える)。


Aの顔写真や名前がもつイメージとAの文体が作り出すイメージがミスマッチ。え、こんな感じの人だと思えるのに、こんな偉そうなことを平気で言うの? しかも言葉遣いがやけに自信に満ちあふれていて、いかにも大物の振る舞い。なのに書いていることは多少ズレていて意地悪。たいして全国に名をとどろかせているわけでもないのに、なにか勘違いしていそう。そんな人に、自分の作品を、ちっぽけな、とか、ちまちました、とか断じられたら、かなりショックで、自己嫌悪に陥ってしまいそう。


小説家を目指す人を相手に言うのだから、ちょっと厳しめの言葉で批評して奮起させよう、などと一方的に思っていそうな人。(今時そんなのだめだよね)。しかも、A自身、年季の入ったその道のプロとも思えない。何であんたにそんなことを言われなくちゃならないんですかsign02 と言いたくなるような人。


 悪いけど知人は決してできた人ではない。納得できない言い方をされればカッチーンsign03   とくる人(私と似ている happy01scissors )で、その選考委員の言い方なら、竜巻のように怒り狂うこと必定。だから、その賞は推奨できない。(しかし、よくよく考えてみれば、選考委員というのも難しい仕事やっているんだなあ)。


、以上のことは、最終選考まで進んだ場合のことですけどね。昔はこんなことを言っていると鬼が笑う、なんて言っていましたね。あ・は・は……。でも、そういう選考委員が待ち構えている、ということは、やはり、そういう風潮がその社の新人賞の中には存在している、ということなのかなあ。なんだろう、不思議。  
thunder  typhoon  typhoon  typhoon  typhoon  typhoon

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