イベント
2009.12.28(月)
街を歩くと、いろいろな催し物の宣伝広告が目に入ってくる。年末年始のこの時期に街が賑わうのは活気があって好ましいことだ。30年前初めて今の街にやってきた時のことを考えれば、街が確実に上昇しているのがわかる。それにしても、一昔前に比べると、イベントの何と多くなったことか。
私が幼かった頃、田舎育ちの私の周辺では、決まった時期に決まったイベントが行われる、というような時代だった。それも、川原祭りだの、西堂寺のお祭りだの、天神様のお祭りだのといった、昔ながらの年中行事がほとんどだった。
川原祭りでは、田万川の、石がゴロゴロした川原に巨大スクリーンが設置され、映画が何本か上映された。映画だから周囲が暗くなくてはいけない。したがって、夏の夜のことだから、晩御飯を食べてから家を出発しても優に間に合うぐらいのスタートだった。いい格好で行くというよりも、地ベタに座っても大丈夫な格好、家に帰ったらすぐにでも寝られるような格好でOKだった。私の移動手段は、父に負ぶわれて行くか父の自転車の後ろに乗って行くか、だった。父の汗臭い衣服とともに、それでも毎年連れて行き、束の間の田舎の楽しみを味わわせてくれた有難さを思い出す。
西堂寺祭りは、夏も終わろうかという時期のものだった。女の子たちは皆、とりどりの柄の浴衣を着て夕方から出かけた。もちろん、昼間から祭りは始まっているのだが、夕方がよかった。浴衣が宵闇に映えて見え、化粧していない顔もきれいに見える時間帯だからだ。女の子たちの目的はお寺にお参りすることではなかった。気に入ったお目当ての男の子に、自分の浴衣姿を見てもらうことにあった。だから、目的を成し遂げると、回転焼きだの綿菓子だのを買って、そそくさと帰るということも多かった。街灯のない時代ではあったが、集団で、懐中電灯を手に持っているから、多少のことには平気な時代だった。
天神祭りも似たようなもので、冬の寒い中、親たちは神社に奉納する神輿のようなものや何やらでてんやわんやなのに、それをさしおいて、お目当ての男の子に会えることを祈りながら参道を上下する、というような、自分にとっての年中行事であった。祭りの日には、親戚筋からお小遣いをもらえるのも年中行事のようなものであった。
「更級日記」の冒頭に、「田舎育ちの自分がどのように思い始めたことか、世の中にあるらしい物語というものを、どうにかして見たいと思うようになった」という一節があるが、まさに幼い私もそのようなことを考えていた。「街にはもっと楽しいイベントがあるらしい。わたしもどうにかしてそれを見てみたい」と。
それを知ってか、父は自分の職場のイベントに私がいけるように取り計らってくれた。いわゆる慰安会というものである。今年は歌手の五月みどりが来るらしい、と聞くとサインをしてもらえそうな色紙を持って出かけた。紡績工場のイベントホール(?)のような場所でのその会に行こうと益田駅前を歩いていると、多分、五月みどりだ、と思える女性に出会い、強引に頼んでサインをしてもらった覚えがある。
これが、初めてのスターとの出会いだったと思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

