2008.06.09(月)
昼間です。もう書いても大丈夫かな。消えた1日=6月7日(土)のこと。
7日、午後3時過ぎだったと思います。無我の状態でした。荘子の「胡蝶の夢」状態です。M君が現れた実感があります。しばらく彼のことを思い出すことはないぐらい忙しかったのですが、(ああ、そうだった。今頃どうしているのかなあ。少しは良くなったのかなあ。)などと彼の闘病生活を想像しながら、何かを考えていたように思います。・・・・・・この日は本当に6日だと思っていたので、翌日まで7日という日を過ごした実感がありませんでした。
翌日8日、朝から古い方の携帯電話が2回鳴りました。F先生からの電話で、2回目の方に出ました。それは、今朝M君が亡くなったという報せでした。その瞬間に、前日のことを幽かに思い出しました。そのことがあったので、報せに驚くこともなく比較的冷静に聞くことができました。夕方、室積で行われたお通夜に行きました。実は、そこで知り合いと話しているときに、この日が8日であることを知りました。夕方7時近くまで、ずっとこの日を7日だと思っていたわけです。台所のカレンダーには、「7日19:00~通夜、8日11:00~葬儀」と書いてありました。<奇しくも今、ちょうど11:00です。> 別の知人は、M君が7日の午後3時ごろまでは、周囲の呼びかけに何とか反応していたということを教えてくれました。
M君、気の毒ですが、彼は天寿を全うしたのだと思います。人生に長い短いはあるものです。要は、どう生きるかだろうと思うのです。少なくとも、私の中で彼は強く印象に残っている人物の一人です。M君との思い出を少し並べてみます。
・M君、中学入学。私はこの学年の主任として出会う。姉とよく似てフランクな人柄だったので、すぐ打ち解ける。ムードメーカーで、授業をいつも盛り上げてくれていた。
・O島で宿泊学習をしたとき、初日は偶然男子グループと行動を共にしていたので、M君が某男子から殴られているのを止めに入ることとなった。M君の後頭部にできたたんこぶを水で冷やし、ずっと様子を見ていた。
・宿泊学習の2日目、M君は体調不良でカッター訓練を行わず、私と共に陸上を移動しながら海上の仲間たちを目で追っていた。一緒に何か食べたような気もするなあ?
・中2となり、私のクラスの1員となる。やはり、ムードメーカーとなってくれた。私が「好きなアーティストはORANGE RANGEです」と言ったからかどうかは分からないが、何かにつけてORANGE RANGEの話題を提供してくれた。
・だから、運動会で放送係の私は、2年男子の競技のときにはORANGE RANGEの曲を流してあげることにした。この運動会の頃には、かなりの体調不良を訴えることがあった。スポーツ万能の彼は、選手リレーにも出場したが、練習で走ったときなどかなり調子が悪くなり、私が座らせているとどこかから檄がとんできたので、「本当に調子が悪いのだから、言わないでください!」と、怒鳴ったこともあった。
・広告や使い古しの用紙で升を折って牛乳の蓋を入れる、というのがM中の給食時のやり方の一つだが、M君たちはこの升を本当によく折ってくれた。給食を食べるのが速いので残り時間を利用して折るのである。それでも、時間をもてあますと、折った升を頭にかぶりサル顔になって「ホッ、ホッ」 と言いながらみんなを笑わせていた。当然、口の中の食べ物や牛乳を吐き出す者もいた。更に当然、私に叱られていた。
・私の父が亡くなり、母の世話をするために介護休暇に入ったとき、優しい励ましの言葉を色紙に書いてくれた。(その後、まもなく彼は入院、闘病生活となる。)
・中3。上記F先生のクラスの1員となる。病院の許しを得て、たまに登校する程度だったが、必ず挨拶に来てくれていた。文化祭では「ガスレンジ」の名でH君・O君と共にORANGE RANGEを歌うことになっていた。私はdamからカラオケをとる方法を提供しただけだが、結局、M君は体調不良で歌うことは叶わなかった。あとの2人がM君の分まで本当に一生懸命歌ってくれたと思う。
お通夜も終盤にかかったころ、会場からORANGE RANGEの曲が流れていました。思わず係の方に、なぜその曲が流されているのか尋ねると、お母様の希望ということでした。・・・・・・あの日歌えなかった歌を、M君、思い切り歌えましたか。あなたの元には、数えきれないほどの同級生だった人たちやスポーツ仲間、先輩や後輩、先生そして地域の方々が来てくれましたよ。大勢の観客の前で、いつもの笑顔で歌いましたね。私には見えましたよ。聞こえましたよ。 -合掌-