午前零時の宇宙空港①
2008.07.09(水)
続「ABC旅行社」![]()
8月14日23時すぎ、1台のタクシー
が人目を忍ぶかのように林道を走っていた。向かう先は宇宙空港「つきのさと」である。宇宙船OBST号が、今夜そこから月へと出発することになっている。搭乗者は23時30分までに集合し、午前零時出発に備えるのである。
その宇宙空港は日本海
に面した小春杜(こばると)市にあった。四方を高い山に囲まれた空港でOBST号は乗客を待ち構えていた。といっても、乗客には搭乗船の全体が見えるわけではなく、タクシーが到着する空港の門には、どでかいビルの入口のような誘導口が見えるだけだった。すでに2、3台のタクシーが止まっていた。そのタクシーの運転手も、門の前でチケットを点検する係員も、みな黙々と任務を遂行していた。門を通り抜ける乗客はというと、一様に身軽でこぎれいな格好をしている。![]()
「お客様、Bの通路をお進みください。」
チケットを点検し終えた係員は、手で案内した。前を行く客とは別のコースだわ…と考えながら、響子は「B」と書かれた文字の横を通り抜けた。目の前には長いエスカレーターが階上へと進んでいく。それを昇りつめたところで次の入口が現れる。中は円形の大広間になっている。丸テーブルが7つ、1つのテーブルごとに4つの椅子がセットされている。涼しく清潔感のある色合いでコーディネイトされた部屋は、まるで結婚披露宴の会場のようである。![]()
「ついに来ちゃったわ。タイミングの問題かもね。」
響子は深いため息を、ひとつついた。![]()
「準備は進めていたから、考える暇もいらなかったし。」
「優柔不断になっていた心をぐいっと引っ張ってくれて、かえって決心がついちゃったし。」
そこには、独り言も許される不思議なほどのゆったり感があった。もう引き返せないという諦めと淋しさ、そして多少の後悔を懸命に断ち切ろうとするかのような独り言だった。
響子はあえて入口から一番遠いテーブルに近づき丸窓近くの椅子に腰を下ろした。いくつかのテーブルに数名の先客がいたが、みな顔は見えないような位置に座っていた。 というか、1人1人を包み込むデザインの椅子に座っているから見えないのだ。プライバシーが守られているというところだろうか。![]()
「お客様、何かお召し上がりになりますか。」
乗務員が、ゆっくりとした口調でそう尋ねた。夕食を済ませて集合するようにとの説明を受けていたので空腹感はなかった。しかし、せっかくなのでサンドイッチとスイカジュースを注文した。「かしこまりました。」乗務員はそう言うと、そのまま入口の向こうに消えた。![]()
入れ替わりに1人の女性が入口に現れた。ABC旅行社の前で追いかけた、あの女性である。女性の方でも響子に気付いたらしく、まっすぐ近寄ってきた。
「あの時の方ね。申し込みがうまくできたのですね。」
彼女はやさしく静かに、声をかけてきた。あの日のことを思い出すと少しばつが悪かったが、ここで再会できるとは、これも何かの縁なのだろうと思わないではいられなかった。
「もう、身の回りのことはすっかり落ち着いて……。」
そこまで言って、響子は、自分が実につまらないことを言っていることに気づいた。身辺をすっかり落ち着かせないとこの旅には出発できるわけがない。しばらく、お互いの胸の内をさぐるような沈黙が続いた。
-続く-
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